


先週の日曜日が復活祭で、この日洗礼を受ける人が多いです。
私も知った人が授洗したので、ささやかなささやかなプレゼントをしました。
私が洗礼を受けたとき、勉強会にいた名前も知らない人がプレゼントしてくれたので
私も誰かが授洗したら、プレゼントしようと思ってたのです。
復活節は50日続きます。
復活祭の翌週、授洗したプレゼントをあげた人からお礼のプレゼントが!(冒頭の写真)ビックリ~。
韓国の方だったので、ご当地のお菓子!なんて書いてあるのかサッパリ分かりません!(笑)
あめも美味しかったけど、何味が分からない・・・
嬉しかった~~~、けど・・・☆
洗礼を受けて、みんなにおめでとうと言ってもらって、喜びに浸るだけで良いのになあ・・・
なんて・・・。「お祝い」のお礼だなんて・・・本来ないんじゃないかな・・・
一緒に喜び合う。それにお礼・・・???
私は、自分は非常識だと自覚してるんだけど、ホントこういうの、違和感です。
洗礼を受けたとき、神父様にもお礼するの。
初めてそれを聞いたとき、「えええ!洗礼って神父様のお仕事でしょ、それにお礼がいるの???」
って、モロ、神父様御前で叫んでしまいました(←つまりお礼のお金なんて払ってない)。
その事を言った信者さん「そういうの、気いつかない人っているんだよね~」
その場にいた神父様「・・・本来は・・・そうなんだと思います・・・」
何事にも感謝の心・・・それが日本人の心・・・お仕事とはいえやはり感謝・・・そういう事なんだと。
でも~、つぶやいたのは韓国人の神父様であって、これがスペインとか他のの神父様だったら
絶対そんな事言わないと思う。毎週家を回って宝石貴金属のハテまで献金を押収してきた
ヨーロッパカトリックだもの~お仕事とかじゃなく洗礼から何からふんだくってた名残りじゃないの???
お祝いのお礼って・・・毎度毎度清算するって事?
私も旅行とかで、もう二度とあえない事もあるから、なるべく下手でもすぐに感謝したいと思うし、
やっぱ本人にお礼をしたいと思う。でも出来ないときは、自分にしてもらった事を、他の人にしたいと思う。
誰が助けてくれたかわからないけれど、守ってくれてありがとうさん、ってお地蔵さんにお参りするように。
「お仕事」でお給料の他に礼金が発生するって、お医者さん、かな・・・
かくいう私も、若い頃入院した時、病室内で、どうする、相場はいくらと、ひそひそありました。
若い私はウソでしょ!と思ったけれど、親に用意してもらって、「先生、これ、親から・・・」と
封筒を出すと、「あ、ハイ」って、受け取ってさらに驚いた記憶が。
また別の病院では「謝礼は受け取りませんのでお持ちになりませんように」という張り紙をしてる病院もある。
お礼と言うのは感謝した時にあげるもので、義務じゃない、お礼をしないと礼儀がない、とか
ほんと、苦手です。愛がないよな~って思う。義務のお礼に意味はあるの?案外それで安心なのかな。
ちょっと違うんだけど、シュタイナーの会で最後に花見して集まろうって言う人がいたんだけど、
そんな雰囲気のメンバーじゃないのに、最後の締めくくりはすべきとか、通常、とか、そんなんで
集まるようなうわべだけって、どうなのって思う。
韓国もそうなのかな?
でも、私がそうであるように、外人であるがゆえにしきたりに沿うようにしてるのかもしれない。
お祝いなんだから、お返しなんて変だよ~。最初に良い知らせを持ってきたのに。
でも出産とかでもお祝いの、半返し?とか、もう、決まりごとだものね。
しかし郷に入らずんばって言葉もあるし、「それはどうなの」って主張することになんの意味もないし
チビの洗礼の時は、ちゃんと!用意しました。山口人な旦那は、面倒だなって気持ちはあっても
意外じゃなかったみたい。でも、どうする~やっぱ3回くらいどうぞ、いえいえ、どうぞ、いえいえとか
やるのかな~~~バカバカしい~~~とか話しながら教会へ向かったものでした。
で、その場面では、
ワタシ「あ、神父様、これ・・・」(と、封筒を差し出す)
神父様「いやいやそんな」
ワタシ「イエ、ほんとに」(あげるつもりで持ってきたんですから)
神父様「それでお嬢さんに何か買ってあげてください」
ワタシ「(やっぱ受け取らないんじゃない?もう、しまおうか)でも~」(と、ややバックに戻しかける)
神父様「そうですか、それでは遠慮なく・・・」
ワタシ「!!!!」(旦那:ニヤニヤ)
ほんと、ワタシって謙遜とか礼儀とか苦手だし・・・
ちなみに神父様は日本人ではありませんでした・・・私よりよっぽど日本人だわ☆
「見えないもの」について考えてたらブルー・ブルーさんとシンクロしたり、
お祝いのお礼をいただいた、復活祭の翌週の日曜日その日は、復活した主が
弟子達の前に姿を現した日の記念で、聖書では「見ないのに信じる」でさらにシンクロ感が(笑)
主が弟子達の前に現れたときトマスと言う弟子だけその時いなくて、後で主が現れた、
と聞かされたとき、トマスは手の釘のあとを見、わき腹に手を入れないと信じない
(十字架に貼り付けになった時の手の釘のあとと、最後の一撃のわき腹に槍を刺した傷)
と言うんですが、その後トマスがいるときに再び主が現れて、さあ手をみてわき腹に手を入れなさい、
「信じないものでなく、信じるものになりなさい」と言う。そして畏れ入るトマスに
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言う箇所でした。
(ヨハネによる福音20章19~31節)
ワタシは大人になってから洗礼を受けただけに、信仰を持ってる人は強い、信仰を
持ってる人は得だ、という気持ちがある。だから子供が出来たとき、信仰を持ってもらいたい
と思った。ある意味、信仰は欲しいと思っても手に入らず、逆に捨てるのは簡単(?)
だから与えてしまえば後は本人の自由だし、と。ただ信仰のない親が、どうやって子供に
信仰を与えるのか・・・と、半ばあきらめつつ、教会だけは通ってました。
シュタイナーでも、日本の言い伝えで7歳までは神の内、と言うように、
7歳までは親が心配せずとも、子供に神性はあると思う。
特に3歳までは世俗に汚れた大人から見ても後光がさし、私もチビがじっと10分以上
祈ってる姿に、疑って覗きに行って、信者さんに「チビちゃん祈ってるから」と制止されたり
たくさんの人に「みんな神父様じゃなくてチビちゃん見てるわよ」と言われたり、
チビの祈ってる姿を見て指を刺して注目してる人が何人も・・・
私もそういうのをはっきり見たことで、逆にうちのチビだけじゃなく、見た目祈ってようといまいと、
子供はみんな神の内、神性があるって「見えないもの」を信じれた。トマスを思い出しました。
でも実際そうはっきり感じたのは3歳半まで。それからは、不思議と同じ祈ってる後姿でも
神々しい光は感じない。周りの評判も、過去から引き継いでる感じ。本当に不思議。
でも、にごった私の目だから見えないだけで、本当はチビも他の子も後光が刺してると
今は分かってる。この神性さを失わせないのは、むしろ7歳以降にかかってるのかも・・・
カトリックの狭量さ、キレイごとの多さ、傲慢さゆえに教会は信じてない私ですが・・・
教会に通うにつれ、良い事も甘受してるといわざるをえなく、考えてみれば世の中
良い事と悪い事、両方あるのが自然で、良い事だけのものなんてあり得ないし、
教会を否定してきたけれど、長所短所として、受け入れることが出来るかも・・・の今日この頃。
チビに主の祈りや十字のきり方など教えたのは私でも、聞いてきたのはチビであって
それはやっぱ教会でそれを見てきたからであって・・・教会(神父さま信者さん)の力は大きいのである。
多分ワタシの方も狭量で傲慢だから、案外良い組み合わせだったのかも(笑)
お口直しにキレイな色の話・・・

花見した時は22度で、しっかり日焼けまでして・・・
なのに朝は1度なんて言う日もあり、はたまた雨で・・・やれやれな天気。
(花見の時、初めてのキャッチボール・・・に、全然ならなかった・・・
帽子かぶれって言うのに、トレードマークのヘルメットが帽子化してマス)
ソメイヨシノにも緑の葉っぱが目立つようになり、
桜の塩漬けのための八重桜の下見に行ったら、白い桜を発見~。
天気が悪くて色が分かりにくいけれど、後のピンクと比べると・・・
せっかくだから白い桜の塩漬け・・・と思ったけれど、どれも枝に手が届かず(涙)
花見ではピンクのカーディガンに黄緑色のスカートで、服も桜っぽくしました。
こういうのって常識じゃあまりしない色の組み合わせではないかと。
でもオーラソーマをしてる人ならすると思うなあ~。
この組み合わせは「B92 グレーテル」ボトルメッセージは「直感。競争ではなく協力。」
ワタシの好きなのはペールピンクとペールブルーの組み合わせ。
「B57 パラスアテナ&アイオロス」」(パラスアテナはゼウスの娘、アンジェリカは竪琴の奏者)
上下の色が逆バージョンが「B58 オリオン&アンジェリカ」(どちらもエジプトの神と関係してる星座)
服でもスリッパでもなんでもついついこうしちゃいます。
今日の服装が、上着がペールブルー、下がペールイエローだと、
「今日は大天使ミカエルね♪」となります
うふっ←意味不明☆実際のセッションで選ぶとは限らないんですけどね。これはオーラソーマ的遊び。
こういう組み合わせ、やっぱフツーしない、かな・・・





お返し、京都はもっとわざとらしくて嫌になりますよ
しかし、洗礼を受けると神父さんにお礼をするというのは知らなかった
こりすさん、教会は神の家族だから、好きにならなきゃね
お願い事をして、叶えてもらって
その喜びと感謝の気持ちを表す。
本来は素朴に自然な成り行きだったんだろうと
思わなくもないけれど、
難しき・・・ことですねえ。
寄付の多寡によって
名前の順番が変るのは
まあ、よしとして
多いほどに字がデカイのは
なんだかなあと思った
神社がございますから・・・
でもあまりこだわることもないとは思います・・外国ではそんな日本式の考えはあまりないですものね
ただ韓国とか中国の儒教の国はそういったことやっぱりあるみたい・・
お医者さんへのお礼は要らないと思いますよ・・ちゃんと医療費は払うのだから・・
それで、日本では物やお金で気持ちを表すんだろうけど・・・
洗礼を受けるのに、お礼が必要なんて、私も知らなかったよ。
私も子供の頃から、母たちが、お返しをしていたのを見てきたので、私も人から物を頂いたり、また、何かして貰った時は、何かお返しはしていますね。(してくださった、その気持ちが嬉しいから)
洗礼自体よく分かってない私なので、お礼のことは分かりませんが
神社だと、おはらいを受けて祝詞を上げてもらう場合は、お礼を渡しますね。(神社で、金額が決まっているところが多いですね)
病院(先生、看護師さん)の謝礼は、受け取りません、と張り紙にも記しているし、渡すと断られますが、最終的には受け取られます。(笑)
お歳暮やお中元などもあまりせず、きっと相手の方が好きだろうと思うものを出かけた先などで見つけたときにお送りしたりしています。
若いときには自分では気がつかず、いろいろな人たちにお世話になったと思うので、いまは私の出来ることを若い方達にできるようにとも思って心がけています。
夫は冠婚葬祭・謝礼を嫌うので、それでますます何もせずということに・・・(苦笑)。
オーラソーマ、最後の組み合わせが気分でした(笑)。
K国。 チマパラムってご存じでせうか?
オンマがチマ(スカート)でパラム(風)wp巻き起こして我が子の教育に狂奔する様をいうのですが、公立学校の担任の先生にはお礼をするのが当たり前になってるようです。 専用の封筒も市販されてるそうです。
将に ”ところ変われば”ですねぇ アイゴーッ
ちょっと話とズレるかもしれないですが、
北海道って、お祝い事とかは全て現金と言う家庭が多いですよね。
一番もらって困らない物なのかも知れないですが、時にそれが重く感じることもあるみたいです。
僕も高校時代、怪我で市立病院に入院したんですが、
その時、『謝礼は受け取りません』と言う旨の張り紙ありました。
誰か渡してるんだろうなぁ~と親が話してましたが、
うちの親は、医者も商売、その道のプロなんだから報酬以外は貰うべきじゃないよな。
とか言ってましたが…。
お礼を渡したい気持ちも解る気もしますけどね。
退院時に紅白のお餅を渡すとかじゃダメなのかな
縁起物で良いと思うんだけど。。
決して義務ではないのでけど、上げないと非常識なように思われたりと。
考えると、頭が痛くなりそうです。
しかし、お祝いのお礼ってのは・・・どうだろうねぇ。宗教だからやっぱあるのかなぁ。日本で考えれば神事で神主さんとかにはたしかにお金を包むものね。お宮参りの時もたしかそうだった。
私もそういうの疎いもんですから・・・え~、なんでそんなのいるの?って思いますもんね。病院もいるんですか?初めて知りました。
どういう会でもそうですが、最初の理想は高くてもそのうち、その組織を維持する事が主になったり、形ばかりになる傾向があるんだと思います。
この間までやっていたPTAなんかも全くそんな感じで、嫌気がさしたことを思い出しました。
僕もサクラの花を摘みに行かないと、散ってしまいます(^_^;
北海道の人に贈り物をすることを一切やめました。
後で腹が立つ事ばかり。マナーは韓国人とそっくり。
後日感想も言わない、有難うとも言わない(言わなくても表情など)、
断る事も無い。しっかり受け取る。
なのにアイヌの人には反感を持っていて「あいつら礼儀知らずだ」と。
礼儀知らずはお前等だろうと思います。
そして腕力(喧嘩についての)を自慢する人が多い。
以上の北海道の人とは農業や漁業の人たちではなく、北海道の都会の人です。
殆どが私の印象と同じか、似通った状態。
彼ら自分を標準と思い、無礼でも平気なんですねェ